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代表税理士詳細プロフィール

代表税理士詳細プロフィール

1982年5月 大阪府で自営業の父と専業主婦の母との間の長男として生まれる。
1984年(2歳) 生まれて初めてディズニーランドに行くが、本人は全く記憶なし。
この頃はとにかく段差のあるところに上っては飛び降りる事が好きだったらしい。
9月 弟が生まれる。
1986年(4歳) 地元の幼稚園は年少クラスがなかったため、私立の幼稚園に入園。
給食制で全部食べ終わるまで外に出してくれないという地獄の生活が始まる。
1987年(5歳) 地元の公立幼稚園に入園し、地獄の生活も1年で終止符が打たれたる。
1987年(6歳) 10月 妹が生まれる。
1993年(11歳) 小学5年生で『スラムダンク』の影響を受けてバスケットボールを始める。中学入学まで学校が終わると暗くなるまでバスケットの生活に。
1995年(13歳) 地元の公立中学に入学。
しかしバスケットボール部がなかったため凄くショックを受ける。
たまたま見学にいったバレーボール部に入部。
1996年(14歳) バレー部でキャプテンになる。
この頃にビジュアル系バンドブームの影響でギターを始める。
後に才能がない事を自覚したためきっぱりやめる。
1998年(16歳) 大阪府立の高津高校に入学。
この頃はまだギターを続けていたため軽音楽部に入学。
直後クラスメイトの誘いでバレー部にも入部。
3年間2足のワラジを履き充実した高校生活を送る。
余談ですが、入学した高校は染髪OK、私服、アクセサリーOKの高校だったため、当時の髪の色は赤、オレンジ、緑で思い出すと恥ずかしい高校生でした。
2000年(18歳) 2年間勉強をしていなかったことに焦りを感じ、最後の1年間はまじめに勉強しようと決意する。
2001年(19歳) 1月 センター試験で国語が200点中90点(4割5分)という成績で頭が真っ白になる。
2月 残りの1か月必死で国語の勉強を始める。
3月 奇跡的に志望校に合格。
4月 大阪市立大学商学部に入学。この頃はバレーが好きになっていたため迷わずバレーサークルに入る。
7月 大学の簿記3級の授業で落第する。この時に会計の仕事はしないと誓ったはずだったが…。
2003年(21歳) 周りの友達が就職活動を意識してきたことに焦りを感じ、将来について真剣に考えてみる。この時に税理士という職業を初めて知り、中小企業の経営者をサポートするということにカッコ良さを感じ、税理士受験をすることを決意する。
それから約半年ラーメン屋でのアルバイトに専念し、受験期間(この時は3年計画だった)の生活費を貯めて、 8月からTACにて税理士試験講座を受講しはじめる。
2004年(22歳) 8月 簿記論、財務諸表論受験。
9月 卒業論文の制作に着手する。これまでの趣味を活かしてテーマは「マンガ産業」。
12月 簿記論×、財務諸表論○
2005年(23歳) 大学を卒業。しかし受験に専念するために就職はせずに勉強を続ける。
8月 簿記論、消費税法受験。
10月 同居していた祖父が他界。できるなら税理士になった姿をみせたかった。
12月 簿記論○、消費税法○
2006年(24歳) 8月 法人税法、相続税法受験
9月 大阪市内の10人規模の税理士事務所へ就職。初めてで担当を15件ほど任される。
12月 法人法○、相続税法×
2007年(25歳) 4月 残り1科目をどうしても取りたかったため事務所を退職して再び受験に専念。
8月 相続税法受験。
9月 大阪市内の20人規模の税理士法人へ就職もウマが合わなく試用期間満了とともに退職させてもらう。
12月 相続税法○
税理士試験合格!
2008年(26歳) 大阪市内の会計コンサルティング会社に就職。
中小企業の事業計画、資金繰り、相続対策の他、事業再生を担当。
リーマンショックの影響を受け、経営状況が悪化する企業を間近にみて、真の中小企業の経営者のパートナーとなることを決意する。
2011年(29歳) 晴れて独立開業!

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